これが救いだ
はじめに
筆者が本書を執筆することになった直接的な動機は、ある日、インターネットで本を検索している時、『地獄へ行くクリスチャン』という題の本を見たからである。その本を見た時、筆者は衝撃と共に少しの怒りを感じた。筆者の中の聖書の常識では救われた信徒が地獄へ行くことは絶対有り得ないことだからだ。その時筆者は「私が救済論を書こう」という強い思いに駆られた。そして筆者は夢中になって救済論の執筆に取り組んだ。
しかし、執筆してからまもなく、筆者は巨大な壁にぶつかってしまった。それは聖書が恵みによる救済を教えながら、一方では行いによる救済を教える点であった。わかりやすい例としてパウロの手紙が恵みによる救済を説いているのに対しヤコブの手紙が行ないによる救済を説いていることがあげられるだろう。
(ローマ 10・9) なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。
(ヤコブ 2・14) 私の兄弟たち。だれかが自分には信仰があると言っても、その人に行ないがないなら、何の役に立ちましょう。そのような信仰がその人を救うことができるでしょうか。
さらに聖書を記した者の一人が恵みによる救済と行いによる救済をそれぞれ主張する場合もある。使徒パウロが代表的な人物だ。
(エペソ 2・8~9) あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。行ないによるのではありません。だれも誇ることのないためです。
(ピリピ 2・12) そういうわけですから、愛する人たち、いつも従順であったように、私がいるときだけでなく、私のいない今はなおさら、恐れおののいて自分の救いを達成してください。
より一層困ったのはイエス様さえも恵みによる救済と行いによる救済、両方を教えているように見えることだ。
(ヨハネ 6・40) わたしの父のみこころは、子を見て信じる者がみな永遠のいのちを持つことです。わたしはその人たちをひとりひとり終わりの日によみがえらせます。
(マタイ 7・21) わたしに向かって、『主よ、主よ』と言う者がみな天の御国にはいるのではなく、天におられるわたしの父のみこころを行なう者がはいるのです。
筆者はこの難題を解くために様々な神学者の見解を調べた。神学者たちは恵みによる救済を教える聖書の箇所では解釈が一致したが、行いによる救済を教える聖書の箇所では解釈が一致しなかった。ある人たちは行いによる救済を教える箇所を「本文は、クリスチャンも本当に良い行いをしなければ地獄へ行くことを意味する」と解釈したし、ある人たちは同じ箇所を「このみ言葉は偽クリスチャンが罪をたくさん犯して地獄へ行くことを意味する箇所だ」と解釈したし、ある人たちは行いによる救済を教える箇所を無視しながら「人は徹底的に神様の恵みによって救済を受ける」と主張した。これ以外は納得できる解釈が全くなかった。
この難題にぶつかってから、筆者は偉大な宗教改革者マルチン・ルター神父の心情を十分に理解することができた。彼はローマ人への手紙とヤコブの手紙の矛盾を解決できず、「誰か私に、ローマ人への手紙とヤコブの手紙を調和させてくれる人がいれば、私はその人に私の博士の帽子をかぶせて、私を『バカ』と呼ぶように許可する」という約束をしている。
筆者は神様にこのような聖書の難題を解く知恵をいくつかいただいた。
まずはじめに、神様は筆者に、聖書の書き手が「救い」という言葉を色々な用途で使ったのを教えて下さった。
二番目に、イエス様は反語法を使って、救いを説いていたことを教えて下さった。
三番目に、永遠の命とはどんな意味なのかを教えて下さった。
四番目に、永遠の命はいつ得られるのかを教えて下さった。
五番目に、生まれ変わったクリスチャンの魂と体が別々に活動するのを教えて下さった。
このような神様の恵みがあったお陰で筆者はこの本を完成することができた。この理由で多くの信徒たちがこの本を通して救いの確信を得て、地獄の恐怖から抜け出しているのだ。したがって、この本を通して生じるすべての栄光は当然、神様だけが受けるべきだ。
2012年12月3日、筆者は1本の電話を受けた。電話をかけた人は、韓国の大変大きな教会の牧師であった。彼は霊性と知性を兼ね備えた牧師だったので、筆者は昔から彼を尊敬していた。彼は「あなたの本を読んですぐに電話をかけた」と言い「あなたの本のすべての内容に同意します」と言った。引き続き彼は筆者の本を褒めながら、筆者の本を彼にプレゼントした牧師にも感謝を表わした。彼は「これから私たちの教会でこの本を教える」と宣言した。そのような決断をしたその牧師に敬意を表わしたい。
聖書を百回以上読んだある神学博士は本書を読んだ後、筆者に会って次のよう話をしたので恐縮した。
「私は先生の本を読んだ後、神様に『なぜ私にはイ・ファヨン牧師に教えて下さった真理を教えて下さらないのですか』と抗議をしました。」
本書を高く評価して筆者を励ましてくださった人々、本書を通して受けた恵みを証してくださった人々に感謝の気持を言いたい。
筆者は読者らに三つのお願いをしたい。
最初に、本書を熟読してから評価することをお願いしたい。本書を熟読しなければ誤解してしまう恐れがあるからだ。
二番目、既存の救済論の観点で本書を評価しないで、聖書で本書を評価してほしい。本書が既存の救済論を改革したものなので、既存の救済論の観点で本書を評価すれば、本書を誤認するしかないからだ。
三番目、本書を読んだ後、聖書の救いを信じてほしい。既存の不完全な救済論の中の一つを信じていた人々は本書を読んで聖書からの完全な救いを信じてほしい。
2013年6月3日 大田市西区葛馬洞にて 李 華英