7. クリスチャンも悔い改めなければ地獄へ行くのか?

 

 

新生したクリスチャンが救いの確信を持つためには、聖書がえる律法と罪だけでなく、聖書がえる悔い改めも正確に悟らなければならない。不幸にも使徒時代以来今まで多くのキリスト者は、悔い改めを誤解したまま聖書を間違って解して救済論を作った。このために聖書が全くえない行いによる救済論がキリストを支配することになった。それで、多くのクリスチャンが地獄の恐怖に苦しめられるようになったのだ

 

イエスが「ノンクリスチャンは悔い改めてこそ天国へ行くことができる」と宣言されたのは事(マタイ 4・17)。しかしイエスはもちろん、聖書記者たちの中で一人も「新生したクリスチャンも悔い改めてこそ天国へ行くことができる」とえたことがない。聖書は新生したクリスチャンは悔い改めなくても必ず天国へ行くのだをえる。それでもカトリック信者とアルミニウス主義者は「新生したクリスチャンも悔い改めてこそ天国へ行く」と主張して、カルビン主義者たちは「本当の新生したクリスチャンは必ず悔い改めて天国へ行く」と主張する。このために心は燃えても体が弱くて悔い改めることができないクリスチャンは地獄の恐怖に震えたり、異端にったり、自殺を図ったりするのだ。これに筆者は神の恵みで「クリスチャンも悔い改めてこそ(本物のクリスチャンは必ず悔い改めて)天国へ行く」という主張が聖書のえと全く違うものだということを証明しようと思う。

 

1、聖書が大きい罪(あるいは多くの罪)を悔い改めることができないクリスチャンも必ず天国へ行くことをえるので「クリスチャンも悔い改めてこそ天国へ行く」という主張は間違いだ。

 

コリント人への手紙第一の5章1~5節に記された、父の妻を妻にしている信者はたまたまそんな罪を犯したのではない。彼は父の妻と同居生活をしていた。この箇所は口語訳聖書に「1緖に住んでいる」と翻された本文は「現在も彼が自分の父の妻と同居生活をしている」という意味だ。これは彼がそんな大きい罪を悔い改めていないまま教会に通っていることである。

 

アルミニウス主義者の主張によれば、この信者は大きな罪を悔い改めなかったから必ず地獄へ行くほかはない。カルビン主義者たちの主張によれば、この信者は偽信者なので必ず地獄へ行くほかはない。だが、神は行いによる救済論者たちと違って、悔い改めていないその信者を天に連れていかれた

 

「このような者をサタンに引き渡したのです。それは彼の肉が滅ぼされるためですが、それによって彼のが主の日に救われるためです。」

 

本文の「滅ぼされる」のギリシャ語「オレッドロス」は建物に使う時は「崩されたこと」の意味で、人に使う時は「殺されること」を意味する。

 

このように神は、父の妻と同居生活をする大きな罪を犯しながらもその罪を悔い改めてない信者の体だけをサタンに引き渡して殺されるようにさせて、彼のが救いを受けるように措置された。本文の「主の日」は「彼の体が死んで、彼のがイエスう日」を意味する。これを見る時、新生したクリスチャンが犯した罪を悔い改めなければ神は彼の体を殺しても必ず彼の霊は救って下さることが分かる

 

もちろん罪を悔い改めてない信者は罪を犯しただけ天国の賞も奪われるそれにもかかわらず、新生したクリスチャンは罪を悔い改めることができなくても絶に地獄へ行かない。使徒パウロはこの事をコリント人への手紙第一の3章でも明確に証言した。

 

(第一コリント 3・12~15) もし、だれかがこの土台の上に、金、銀、宝石、木、草、わらなどで建てるなら、各人の働きは明瞭になります。その日がそれを明らかにするのです。というのは、その日は火とともに現われ、この火がその力で各人の働きの真価をためすからです。もしだれかの建てた建物が残れば、その人は報いを受けます。もしだれかの建てた建物が焼ければ、その人は損害を受けますが、自分自身は、火の中をくぐるようにして助かります.

 

本文で見るように新生したクリスチャンが罪をたくさん犯したら、神は彼にえる賞を全部奪っても必ず彼の霊を救って下さる。父の妻と同居生活をする罪を悔い改めなかった信者が霊の救いを受けたのが明らかな証だ。 したがってキリストの2大救済論者たちの「新生したクリスチャンも悔い改めてこそ天国へ行く」という主張は明白な間違いだ

 

2、 聖書がえる新生したクリスチャンの悔い改めを整理する。聖書には新生したクリスチャンの悔い改めにする3種類の訓があるだけだ。

 

最初に、聖書にはまるで、新生したクリスチャンも悔い改めてこそ天国へ行くように(あるいは聖霊が新生したクリスチャンを助けてくださるので新生したクリスチャンが悔い改めて天国へ行くことができるように)されている御言葉があるだけだ。

 

ヘブル人への手紙6章1~8節が代表的な箇所だ。前にこの本文を討したように、本文は新生したクリスチャンも悔い改めてこそ天国へ行くことをえる御言葉ではない。本文は新生したクリスチャンが悔い改めてこそ祝福と賞を受けることをえた御言葉だ。

 

二番目、聖書には新生したクリスチャンが悔い改めなければ祝福と賞を奪われるという真理が記されているだけだ。

 

(黙示録 2・5) それで、あなたは、どこから落ちたかを思い出し、悔い改めて、初めの 行ないをしなさい。もしそうでなく、悔い改めることをしないならば、わたしは、あなたのところに行って、あなたの燭台をその置かれた所から取りはずしてしまおう。

 

(黙示録 3・5) 勝利を得る者は、このように白い衣を着せられる。そして、わたしは、彼の名をいのちの書から消すようなことは決してしない。わたしは彼の名をわたしの父の御前と御使いたちの前で言い表わす。

 

三番目、聖書には新生したクリスチャンが悔い改めれば神が御怒りをおさめて、祝福と賞をえる事が記されているだけだ。

 

(黙示録 3・19~20) わたしは、愛する者をしかったり、懲らしめたりする。だから、熱心になって、悔い改めなさい。見よ。わたしは、戸外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところにはいって、彼とともに食事をし、 彼もわたしとともに食事をする。

 

聖書のえと2大救済論者たちの主張を比較してみよう。

 

* 聖書 ― 新生したクリスチャンは罪を悔い改めることができなくても天国へ行く

* アルミニウス主義者 ― 新生したクリスチャンも罪を悔い改めることができなければ地獄へ行く。

* カルビン主義者 ― 罪を悔い改めることができない信者は偽物の信者

 

* 聖書 ― 新生したクリスチャンは聖化と係なく天国へ行く。

* アルミニウス主義者 ― 新生したクリスチャンも聖化してこそ天国へ行く

* カルビン主義者 ― 聖化を成し遂げられない信者は偽物の信者だ。

 

者はどの主張を理だと信じるだろうか

 

新生したクリスチャンは悔い改めて天国へ行くことが完全に不可能だ。新生したクリスチャンは死ぬ時まで地獄に落ちる罪を犯して生きるほかはないからで、死ぬ時までその罪を悔い改めることができないからだ。したがって聖書の救いを悟ることが出なかったキリストの2大救済論者は次の通り告白することが正しいだろう。

 

「聖書によれば聖霊が助けてくださっても新生したクリスチャンは罪を完ぺきに悔い改めることができないので、すべてのクリスチャンが地獄へ行くほかはない。新生したクリスチャンが天国へ行くことは至難のわざだ。率直に言えば私も地獄へ行くほかはない。」

 

筆者は、非常に熱心に信仰生活をする、ある牧師が率直に「私も天国へ行く自信がない」と告白するのを聞いた。次がもっと正直な告白だと思う。

 

「私は1瞬間も罪を犯さないで生きるということができない。1生悔い改めることができないまま生きるほかはないので、私も必ず地獄へ行くほかはありません。」

 

にもかかわらず多くの牧師は自身は天国へ行くと信じて、自分の説教を聞く人のほとんどは地獄へ行くと主張する。さらにある牧師たちは「私は夢で天と地獄を見た」と主張しながら、ほとんどの信徒が地獄へ行くと主張して、多くの牧師と信徒たちを地獄の恐怖に震えさせている。

 

ある牧師はある集会で「韓国教会の信徒の中には天国へ行く信徒は3パセントもならないだろう」と言いながら「信仰生活を忠実にしなければ地獄へ行く」と主張した。

 

筆者はその集会が終わった時、ある教会の長老と信徒が家にりながら次のような話をするのを聞いた。

 

「ああ、韓国教会の信徒の中で3パセントしか天国へ行けないならば、私たちの教会では牧師先生だけが国へ行って、りはみな地獄行きだな。」

「私たちは1所懸命に教会に通っていてもだめだという話だろう。」

 

次の日の夕方に筆者はその牧師とともに夕食をすることになった。その時、筆者はその牧師に次のような質問をした。

 

「牧師先生は『韓国教会の信徒の中で天国へ行く人が3パセントしかいない』と言いましたが、コリント人への手紙第一の5章1~5節に父の妻と同居生活をする信者も天へ行ったことはどう思いますか?」

「えっ? 聖書にそのような御言葉もあったかね?」

 

常識的に考えて見よ。

その牧師の主張が本当であれば、100人が出席する教会の信徒の中には天国へ行く人が3名もいない。だったら、殆んどの韓国教会の信徒は地獄へ行くために教会に通っている計算ではないのか? もちろん韓国教会の信徒の殆んどがイエスを信じないならば彼らが地獄へ行くのは然だ。だが、韓国教会の信徒がイエスを信じているのに、彼らが罪をたくさん犯したことで、あるいは彼らが罪を悔い改めなかったことで、彼らを地獄へ行く人として取り扱うのは正しくない。

 

キムミョンスンという教会の信徒からもらった証し文を紹介する。

「この前にビョンスンウ牧師の『本物のクリスチャンも本当に見捨てられることがある』という本の題名を見て、大きな衝を受けました。また、チェポラ牧師の、地獄に行って来た証を聞いて、あまりにも恐ろしくて不安で、仕事が出来なかったです。

『私は明確に救いを受けたが下手すると地獄へ行くこともあるかもね。』

私はあまりにも大きい傷を受けて胸を叩いて、泣きながら悲鳴をあげ続けました。

『神は人間親の愛ほどの愛もない方だ。このような神を愛の神だと? その愛をえろと? 私には絶できない。』

その間、自分なりに熱心に伝導をしてきたが、もうこれ以上伝道する自信がなくなりました。

『自分の子供が罪をたくさん犯すという理由で地獄に投げてしまう神を、どうして愛の神様だと信じることができようか?』

これを考えると、とうてい伝道する自信がなかったのです。

私は神に問い詰めました。その翌日、祈りの答でインタネットを通してイファヨン牧師先生を知るようになりました。やはり私たちの神は変わらない愛の神様でした

ファヨン牧師先生を通して天より高く、海よりい父なる神の愛とイエスの愛を知るようになりました。深く感謝申し上げます。

何日か前、祈りの中で、聖霊からこのような指示を頂きました。『牧師先生たちのためにたくさん祈りなさい』そして、『イファヨン牧師が書いた救済を牧師先生たちに贈り物として贈りなさい』という・・・。」

 

救いの確信を失って苦しんでいたキムミョンスン執事は本書を通して救いの確信を得ることになった。今は教会道師として働いている

彼女は今、大きい教会の牧師と有名な神教授月約15人ずつ選定して、彼らに筆者の本をプレゼントしている。