思弁的信仰ではなく、行いが伴う信仰


「信仰を持っていれば何をしても良いのだ」との主張にして、

ヤコブは「あなたが信じている主なる神さまは、誰で、信じるだけで何もしなくても良いと語っているのか」と言うのです。

頭だけの信仰、思弁的な信仰になってはならないのです。

主なる神さまを信じるとは、御子イエスキリストの十字架の贖いによって、

あなたの罪が赦されたことを受け入れることです。

そうであるならば、主人である主なる神さまの御言葉に全面的に服する必要が生じてきます。

主は、主の御言葉を受け入れ信じた者は、思弁的に頭だけの信仰とはならず、

そのりとして主の御言葉に聞きりが伴うことを語ります。
キリストの十字架による救いに導かれている私たちは、ただ信じるだけではなく、

主の御言葉に聞きい、キリストに倣う者として、日、聖化され、結果として善き行いを行う者へと促されていきましょう