マルコ10:17~22 永遠のいのちを求めてイエス様の足下にひざまずいた人は、

マタイの福音書では「青年」(マタイ1920)、ルカでは「役人」(ルカ1818)と書いてあり、

三福音書とも、金持ちであったと記す。

しかも、真剣に永遠のいのちを求めている好人物です。

ところが、この青年の問いに対して、イエス様は、揚げ足を取るような答えをしています。

「尊い」ということばは、道徳的に善であられる神の属性を表すことばです。

マタイの福音書では、同じ言葉を使って、「どんなよいことをしたら・・」と青年は尋ねています。

その「尊い」という言葉を使って、イエス様は、「尊い方、即ち、善あり、義である方は神おひとりだ」と語られます。

それは、人間は、この「尊い」神の前に、どんなに努力しても、

永遠のいのちを要求しうる「善」などなしえない存在であることに気づかせようとしています。

イエス様が戒めを持ち出されたのも、同様の目的です。

モーセの十戒を提示されても、そのようなことは小さいときから守っていると、

イエス様が気づかせようとしていることが分からない青年に対して、

イエス様は、良いわざによっては、永遠のいのちは得られないということを教えるために、

彼が実行不可能な「よいわざ」を命じられました。

永遠のいのちを得るためにはどうすればよいのでしょうか。

1.よいわざを行い得ない、哀れな自分を認めることです。

2.「尊い」創造主でのみが、そんな者にも永遠のいのちを与えうることを信じて神と共に歩む事です。